水曜日, 1月 17, 2007

偕老同穴

偕老同穴とは夫婦仲睦じく、生きてはともに老い、死しては穴を同じゅうして葬られようと誓いあうさまをさしていう言葉である。また海綿動物の一種にこの名称の動物がいる。形はヘチマににており、広い胃腔を有し、下端は長い根毛をなし、深海の底に立っている。胃腔の中にドウケツエビが寄生する。雌雄一対がともにいることから、はじめはこのエビを「偕老同穴」といったが、後に海綿の方をさしていうようになった。誰が最初にこの動物たちをこう名づけたかは知らないが、元来は夫婦のむつまじさを形容した言葉であり、出典は『詩経』の「はい風・撃鼓」、「よう風・君子偕老」、「衛風・氓」、「王風・大車」などの章である。いずれも河南省黄河流域にあった国々の民謡である。  「撃鼓」は出征した兵士が、故郷に帰れる日もわからず、愛馬とも死にわかれ、戦場にさまよいながら、故郷の女を思い出して歌ったもので、その第四章に、    死生契闊   子とともに説をなす   子が手を執って   子とともに老いん            死んでも生きても一緒だと           お前とともにちかいあった           お前の手をとって           白髪頭までもとちかいあった  とあり、「ああ、それもあだとなった」と結んでいる。悲しい兵士の歌である。  「君子偕老」の詩は、少し風変わりな歌で、貴婦人をそしったもの。その第一章に、    君子と偕に老いんと   副笄六珈   委々侘々として   山の如く河のごとし   象服これ宜し   子のよかざる   ここにこれをいかんせん            主さまとなら百までもと           髪には簪、玉飾           しゃなりしゃなりとしとやかで           山のように河のように御立派で           はでな衣装はおにあいだが           あなたのしていることが余りよろしくなくては           一体どうしたものでしょう 「子のよかざる」とは、口先では偕老同穴であろうと夫に貞順と愛情を示しながら、実際の行動において「よろめき」が見られるというのであろう。  「氓」は長い物語詩である。毎年やって来る糸買いの行商人の口車に乗って、自分の村をとび出し、行商人ところへ嫁いだ女の哀しい顛末を歌ったもの。男は嫁ぐまでは、優しげに言いよる、しかし嫁いでからはひとすじな女心をふみにじり、乱暴をし、新しい女さえこしらえる。妻として家の者に早朝から夜おそくまでこきつかわれることは恐れはしないが、男のそんな気持ちだけは悲しい。そして女というものは一度嫁げば里へはもどれぬものである。そして、    なんじと偕に老いんとせしに   老いては我をして怨ましむ  と女心の哀れさを歌う。この歌は村の老婆が、たとえば泉のほとりなどで若い村の娘たちに歌ってきかせ、用心するようにすすめたのだといわれている。  「大車」には、次のような伝説がある。春秋時代の初めの頃、紀元前六百八十年に楚が息国(河南省にあった)を亡ぼした時のこと、息の君主はとりこにされ、夫人は楚王から妻になるように所望され、宮廷にいれられた。たまたま楚王が遊びに出た時を利用して、夫人はとりことなっている夫にあい、  「人は一度は死ぬもの、いやな思いをして生きても結局は死ぬもの。  私は片時もあなたを忘れることはできない、  とてもこの身をほかの人にささげることはできない、  生きてあなたのことを思い、魂が地上を離れてくらすよりは、  死んで地下にもどった方がどれだけましだかしれません。」  と言い、「大車」の詩を作って、夫のとめるのもきかず、自殺してしまい、夫もまたそのあとをおって自殺したという。その詩にいう。    生きてはすなわち室を異にすれど   死してはすなわち穴を同じゅうせん   予を信ならずといわば   ?日のごときことあらん 「?日のごときあらん」とは、自分の心は天上に輝く太陽のごとく明らかでうそがないと誓っている言葉である。   先の三つの詩から「偕老」を取り、最後の詩から「同穴」を取ってできたのが、この言葉だが、それらがいずれも「偕老同穴」のいかにむずかしく、なしがたいかを嘆いた歌であることを思うと、この言葉も哀れである。「中国故事物語」